こぶたの手帖

会社員のこぶた(♀)が習慣化をやって人生を変える過程です。

小学校時代の先生に手紙を書こうと思い立った話

どうも、こぶたです

わたしは、

小学生の五年生まで、

担任の先生が無条件で大好きでした。

 

一、二年生の時の先生は、

おそらくベテランと呼ばれる先生で

今思えばきっと、主任先生のクラスだったのだと思います。

 

給食を残して怒られた記憶、

図工の授業で、めちゃめちゃ考えていったのに、

何作ってるのそれ、と言われ首を捻られた記憶、

と、微妙な記憶ばかりですが…。

けれど、年度末に作る文集の表紙や、学級旗の図案など、家でクソ真面目に考えて持っていったものが採用されたことで、

自信をつけたという気はします。

 

 

三年生。

おそらく講師だった、若い先生。

絵が得意で、

イラストレーターさんみたいでした。

名前をもじって鬼〇〇と呼ばれてましたが、

憧れのお姉さんのようで大好きでした。

字にコンプレックスがあったのか、

字が汚くて、とよく言われてましたが、

イラストレーターや漫画家さんのようで、

とにかく憧れでした。今何されてるんだろうなぁ。

 

そして、4.5年生の時の先生。

若くて綺麗でかっこいい、女の先生でした。

とにかく懐いて、後を追っかけ回していた記憶ばかりです。

放課後も、ペン回しを教わりに行ったり、

やたらとひっついていました。

五年生の途中に、六年生からは転校することが決まり、

その時には、別室に呼んで、いろいろ話を聞いてくださりました。

 

そして転校した先の六年生。

年配の女の先生でした。

クラスは1クラスだけ。

もう、完全にグループはできていて、

男の子の雰囲気も女の子の雰囲気も、

随分とちがいました。

先生に対して反抗的な態度を取る人にはじめて会ったのもこの時です。

 

毎日、家で泣き、学校に行きたくないと枕に顔を押し付けて叫んでいました。

休み時間は、女の子もこぞってサッカーをするので、

図工の時間の絵を残しておき、休み時間に一人で描くのが幸せでした。

外の風景を見ながら、古びた床板を一枚一枚丁寧に塗りました。

おかげで絵は賞をもらいましたが、

この一年間は苦痛でした。

何とか、話を合わせて、給食中に笑っていたら、

担任の先生に、あなたは何を笑っているの、と言われて、心が凍りついたことは忘れません。

社会の授業は常に穴埋めのプリントワークで、

歴史について話を聞いた覚えもありません。

 

こんな大人にだけはなりたくない、と思いました。

 

まぁ、その転校後の話は置いておいて、

今回手紙を書きたいと思ったのは、

4.5年生のときの担任の先生です。

今は子どもさんもおられると聞いてますし、

先生をされてるかも分かりません。

でも、

27歳になって思い出しても、

あの二年間はわたしにとって大切な二年間でした。

たくさんいる中の一人で、

忘れてしまっているかもしれないけれど、

きちんと感謝の気持ちを、

伝えたいと思います。

 

snsやメールなどが普及している今だからこそ、

髪とペンで伝えたいです。

 

届け!

 

 

おしまいっ